① 求一篇用日語寫的日本電影的觀後感
頂樓上的。家庭作業還是自己做才有意義。
② 求日漫的日文觀後感,300-400字左右。
摘要 なつめ
③ 求一篇日本電影觀後感(要日文的,並且電影最好有名點)
我來給你一篇吧,希望能幫到你,不要吝嗇分哦~~~
《東京塔》觀後感
[映畫]『東京タワー』感想
昨日観に行ってきました『東京タワー』。かなり出足は好調みたいで、仆の地元から車で1時間くらいの某地方都市(シネコンが飽和狀態)のレイトショーでも、3割くらいのお客さんの入りでした(とか書くと、東京の人には「ガラガラじゃん!」って言われそうだけど)。
それで、いきなり結論から書いてしまいますが、すごく良かったですよ、この映畫。観る前までは、正直「もう『東京タワー』見飽きたな……それに、キャストもオカンが樹木希林さんって、絵的にどうよ、「フニフニフニフニ(林檎殺人事件)の人だもんなあ」とか思ってたんですけどね。
この映畫、小說や大泉洋主演の単発ドラマや速水もこみち主演の「月9」のようには泣けません。仆がこの映畫に最も期待していたことって、松たか子をスクリーンで観られることと松尾スズキさんの腳本だったのですが、松尾さんは本當に素晴らしい腳本家だなあ、と思いました。絕妙の寸止め感。今までのドラマでは、「視聴者をここで泣かせてやろう」という製作側の意図が透けまくりの安っぽい「お涙頂戴シーン」満載だったのですが、この映畫版では、「ここでもう一押しすれば、『泣かせられる』のに……」というシーンで、惜しげもなく場面が切り替わります。オカンの手紙が登場しても、その內容が作中で読まれることはありません(例外はありますが)。今までの「オカン」は、「とにかくマー君を大事にする子煩悩な母親」として描かれていたのだけれど、この映畫版でのオカンは、「母親であるのと同時に、ひとりの女性でもあって、自分がこうして『母親役』を演じ続けなければならない現実に戸惑っている」というのがものすごく伝わってくるんですよね。「人間」って、本當はこういうものだと仆も思うのです。內田也哉子さんって、本木雅弘の奧さん、というイメージしかなかったので、オカン役としては不安だったのですけど、この映畫のなかでは、いちばん印象に殘った役者さんでした。まあ、「ボク」が大學生になったときに、いきなり「オカン」が內田也哉子さんから樹木希林さんに変わったときには、「オカンは何の呪いをかけられたんだ……」と驚いてしまいましたけど。さすがにあれは唐突すぎないかね。親子だから、似てるんだけどさ、確かに。
仆は松尾スズキさんって、本當は『東京タワー』みたいな濕度100%の話って、苦手だし嫌いなんじゃないかな、と思います。そして、だからこそこの映畫は、「泣きたい人を泣かせるためだけの映畫」にならずに済んだのかもしれません。松尾さんは、このドラマを「泣かせる話」「素晴らしい親子愛の話」として過剰に描くことをせず、「どこにでもある、人と人とのすれ違いと結びつきの物語」として描いていて、それは仆にとってはすごく「身近なもの」だったんですよね。原作のダイジェスト版みたいになっていて、短いシーンが次々と入れ替わるし、「泣きたい人」にとっては素っ気ない話のように思えるかもしれないけれど、そう感じられるのは、人生ってやつが素っ気ないものだからなのですよ、たぶん。
正直、「ボク、オトン、オカン」以外の登場人物の大部分に関しては、かなり說明不足で「原作を読んでいない人には『なんでこの人がここにいるの?そもそも、この人誰?』と思われるのではないかな」というシーンがあったり、ラストにちょっと違和感があったりしたのですが、最近の日本映畫は、本當に元気だなあ、と感じさせてくれる映畫でした。個人的には、食べまくっている松たか子にちょっとウケましたよ。「SMAP×SMAP」でも、女優とは思えない「ガン食い」してたからなあ……
そうそう、仆は1ヵ所だけ涙が出て止まらなくなったシーンがありました。でも、その1回で十分満足。
しかし、ここまで「あっさり風味」の演出というのはある意味すごいですよね。あの濃厚トンコツラーメンのような『東京タワー』をここまで淡白な作品にしてしまった映畫のスタッフは勇気があったと思いますよ。オカンが死んでしまうシーンも直接的には描かれなかったし。仆としては、リリーさんが醫者に対して食ってかかるようなシーンが無かったのにはホッとしたのと、普通の患者さんからみると「病院」というのはこんなふうに見えるのだなあ、と感じたのが印象に殘っています。
ただ、「ミズエ」っていうキャラクターは、この作品にとって何だったんだろうなあ、という疑問は殘ってしまっていて、『en-taxi』の映畫『東京タワー特集』では、松たか子が、ラストシーンでボクとミズエとオカン(の位牌)が東京タワーの展望台に上るシーンに対して「私がここに居ていいんでしょうか?」と疑問を呈したというエピソードが紹介されていました。仆も観ていて、「ミズエって、そんな『特別な存在』だったの?」と思ったんですよねやっぱり。この映畫での描き方だったら「リリーさんの大勢の女友達のうちのひとり」にしか見えないというか、少なくとも「ボク」と「オカン」と一緒に東京タワーに上る資格がある存在には見えないんですよ。「オカンはそれを望んでいた」のかもしれないけれども。まあ、「オカンの死をきっかけに二人はよりを戻して結婚した」みたいなオチよりははるかにマシだったとしても。
ちなみに、仆が泣いてしまったのは、オカンのお通夜のときに不躾な編集者から催促の電話がかかってきて、一度は「こんなときに仕事なんかできるか!」と電話を切った「ボク」が、「お前が仕事をしているのを見ているときが、いちばん気分が良いよ」というオカンの言葉を思い出し「最高に笑えるバカエッセイ」を一生懸命に書きはじめるシーンでした。仆の母親もなかなか見舞いにも來ない息子(=仆)に対して「お前が元気で仕事をしていてくれれば、それがいちばん安心だよ」と言っていたのを思い出してしまって。
今の仆にできる「親孝行」っていうのは、たぶん、仆自身が自分に誇りを持って生き抜いていくことだよな、とか考えていたら、涙が止まらなくなりました。
④ 求一篇日本電影觀後感 日語150字的 不勝感激 !!急急急
久しぶりに映畫を見た、
木村拓哉主演の映畫《HERO》だった。
名前が公平という検察官の仕事にめぐって広げられた物語だが、
田舎から大學にも入ることなく、
明晰な頭脳の正義感にあふれる青年検察官がとても魅力のある人物だった。
登場人物もまたみんなぞれぞれ個性が強くて、印象的だ。
社會にある犯罪や不正そして腐敗にたいする検察官たちの緩まない戦いに感動され、
主演人物たちのユーモアなセンスにも感心させられた。
いい映畫だった。
205 words
⑤ 一篇《千與千尋》的觀後感。求日文翻譯版~~おねがいします! ps: 新手的說,懸賞沒法高哈!
《千與千尋》的觀後感:
『千と千尋の神隠し』という映畫をみて、いろいろ感想がありました。ただ10歳だけの女の子、両親に豚をなられてしまって、ひとりぼっちで、両親を救うために、どんな苦労も我慢して、いつまでも諦めずに頑張っています。その様子をみて、すごく感動しました。
千尋のその勇気を感心しないといけません。でも、その一方、もっと深く考えらるところがあります。
まず、カオナシという人物を見てみましょう。淋しくて、よわくて、ちょっと亂暴で、これがカオナシだ。たくさんの黃金だけではなく、お風呂の札もできるそうです。黃金なら嫌い人はいないでしょう。黃金は慾望の例えだと思います。
自分の慾望を満足するために、悪いことでも何でもしてしまうみたいです。一つの慾望を満足するなら、またもうひとつのを目指しています。それこそ人間というものなのです。人間の慾望はホントにカオナシですね。
ですけど、千尋はそんな話がいって「そんなにいらない」。「私のほしいものはあなたには絕対出せない。」10歳の女の子が言えるかもしれませんけど、24歳の私が言えるのかしら、と……慾望に対する態度は年齢によって生長するものではない、とはっきり分りました。それは、カオナシにたべられるよりもずっと恐いことだと思います。
「名を奪われると帰る道は見付からなくなるんだよ」というハクの話がいつまでも忘れられませんでした。誰でも名前があるに違いありません。でも、誰でも帰る道を知ているのかな。私たちは迷っているのですか。いったいどこが帰る道ですか。
私たちは本物の名前が忘れてしまうのでしょうか。ホントの自分を失って、それこそ現実ではないでしょうか。人間なら誰でも反省しなければならない問題になってしまいます。
映畫の最後に、千尋は名前を見つかったけど、私はそのまま迷っています。ずっと考えていますから。
翻譯
看了《千與千尋》這部電影後,有很多感想。只有10歲的女孩子,被父母變成了豬,一個人,為了救父母,無論怎樣的辛苦都忍耐著,永遠不放棄地努力著。看到那個樣子,我非常感動。
必須佩服千尋的勇氣。但是,另一方面,也有更深入思考的地方。
首先,讓我們來看看無臉男吧。寂寞、彷徨、有點粗暴,這就是混沌。據說不僅能得到很多黃金,而且還可以拿到浴室的牌子。黃金的話沒有人討厭吧。我認為黃金是慾望的比喻。
為了滿足自己的慾望,好像做了什麼壞事。如果滿足一個慾望的話,我還會朝著另一個目標努力。那才是人類。人的慾望真的是無顏無顏啊。
但是,千尋說了這樣的話:「不需要那麼多。」我想要的東西你絕對拿不出來。」也許10歲的女孩子會這么說,但是24歲的我能這么說嗎?我明白了,對於慾望的態度並不是根據年齡而增長的。我覺得比起被無頭騎士吃更可怕。
「名字被奪走的話就找不到回去的路了」白龍這樣的話一直都忘不了。肯定誰都有名字。但是,誰都知道回去的路吧。我們迷路了嗎。到底哪裡是回去的路。我們會忘記真正的名字嗎。
失去真正的自己,這才是現實吧。這是一個任何人都必須反省的問題。
電影的最後,千尋找到了名字,但是我還是很迷茫。我一直在想。
⑥ 求一篇500字日劇觀後感(用日文寫的)
竹野內豊のドラマ感想2009-08-04 23:32最近彼のドラマたくさん見ました。
最初のは今年大ヒットの[boss]で、それをきっかけに竹野內豊って名前を覚えました(ってゆか、いまさら知ったばかりの自分はもう結構時代遅れって感じわね、彼は木村拓哉と同じような世帯で日本ドラマの先輩とゆうか、重鎮みたいな大きな存在だけどね、まあ、彼本人はかなり地味でとても木村のように活躍的な性格じゃなくていつもこつこつ仕事をするだけで、自己顕示欲の低い山羊座の人ってこともあるから、いまさら知ったばかりも無理もないってなんてさ^^)。
さてと、それがただのきっかけだけで、本番にはまっちゃったのは【サイコドクターPsycho Doctor 】ってドラマなんです。実は最初同じ人だとは思わなかった、そんな変身ぶりにびっくりした。サイコドクターのなかで演じた楷先生はおとなしくて冷靜なキャラクターだけど見たら痛々しい気分にもなっちゃったね。見事な演技を拝見させていただきました。とくに最終回の楷先生の涙のワンシーンはすばらしかった。本當に心にしみてきました。今思い出してもね。
で、その後、続いて、彼の「世紀末の詩」、「家族」、「tomorrow」、「withlove]、「氷の世界」「ロンドン」と映畫の「冷靜と熱情の間」も見ました。すべていい作品でした。それぞれも見所が在ると思います。私とくに好きなのは無邪気な「世紀末の詩」、男前の「家族」とクールな「ロンドン」のキャラクターなんです。
これからも竹野內様の新しいい作品を期待しながら、彼のほかの作品をすべて見ようと思います。
⑦ 求日劇或日漫的日文觀後感,300-400字左右。
あの日見た花の名前を仆たちはまだ知らない
私は難しい「感動」という言葉を描いて見それ精短自分の11集の後の感じ。からそれは含んですぎて。人の記憶多かれ少なかれが欠け,あれらのほこりは隅の時間の昔話,いつも人は神経が疲れて。だから逃げ,ある人は選んで忘れて,ある人を無視する,殘りの人は永遠に記憶に。
當面の瑪は當初の姿がひょっこり現れ宿海の前に,また突然消えても。宿海戸惑いも予想。しかし,
あの日から,凝固この時間再開流転。今しかないよ,私たちはさよならを言う資格がある。
我們仍未知道那天所看見的花的名字的觀後感~~~~~俺自己寫噠~~~~~~~
⑧ 日語電影讀後感怎麼寫
首先,可以說一下什麼時間、什麼樣的心情、在哪裡看的這個電影,為啥看了這個電影。還可以介紹一下電影的概況,哪年出品的,導演演員啥的;
其次,上網上搜一下這個電影的的內容介紹和影評一下;
再次,結合生活,或是日本和中國的異同分析一下電影內容或人物。
⑨ 日本電影「結婚しようよ」的觀後感怎麼寫啊日語的
ストーリーとしては香取家の主人・卓は、不動產會社に勤める平凡なサラリーマン。専業主婦の妻・幸子、大學生の長女・詩織、バンド活動に情熱をそそぐ次女・歌織の一家 4人で、卓の決めた「晩ご飯は必ず全員揃って食べる」というルールを守って暮らしてきた。だが詩織は想いを寄せる苦労人の青年と會うため、歌織は波に乗り始めたバンド活動のため、揃わない日が増えていく。家族との時間が何より幸福だった卓は、すっかり意気消沈してしまい…。
監督の佐々部清氏が吉田拓郎の大ファンだそうで、全編に拓郎ソングを散りばめたホームドラマ。遠い昔、愛する人を守るために自分の夢をあきらめて以來、家族のために働き詰めで生きてきた主人公の姿は、すべての団塊世代の共感と涙を誘うはず。また2006年秋、31年ぶりに行われ3萬5000人のファンを集めた【つま戀コンサート】のステージを、なんと劇中で再現!拓郎ファンのみならず、70年代のフォークソング全盛期に青春を謳歌した世代には、たまらない
作品になっている。さらに次女を演じたAYAKOの所屬する「中ノ森BAND」、ストリートミュージシャンに扮した「ガガガSP」など、若手アーティストの奏でる拓郎サウンドも新鮮で魅力的だ。
全體的に、笑えて、泣けて、胸があったかくなるようなみてよかったと思えた映畫と言えよう。頑固一徹に生きてきた人情味あふれるサラリーマン及び、その家族。家族4人全員が必ずそろって夕食を食べることは何よりの楽しみなのだが、やがて長女は愛する人のもとへ走り、次女はバンドの夢を追いはじめる。娘を失う父の心情は切なく、いずれは娘の相手と対峙しなければならないと思いつつ実世界でのむなしさと頑張りで、胸がいっぱいである。娘も実に父親の生きかたを敬愛している。
このような家族愛をメインにして、描いている映畫は実に人の心を打たれる優れたものである。70年代フォークの名曲にのって、ひとが心豊かに生きてゆくために大切なもの、家族愛、ひととひととの絆や、こどもたちの自立が、人間をやさしくみつめる視線から、限りなく暖かく、ていねいに描かれています。見終わると、なんとも晴れやかで、あたたかで人間的になったような気分になれる佳作、良品です。また、このような映畫を期待し続けていくであろう。
希望能幫到您。
⑩ 日本電影入殮師日語觀後感
《入殮師》是日本導演瀧田洋二郎的一部經典作品,這部作品同時也獲得了第81屆奧斯卡金像獎,我個人覺得這個獎項實至名歸。
這部電影在平平淡淡的觀賞過程中給了我巨大的震撼。在日本入殮師是一個比較冷門的職業,電影通過這個行業的主題,探討了生和死的終極思考,電影里還將愛情、家庭、生活態度等問題融合到一起,讓觀者在歡笑時同時也夾雜著淚水,表現出了導演極深的劇情把控能力。
入殮師這個職業給了死者入土前最大的體面和尊重,導演只有對生死有了真正的感悟才能讓電影表現出最真誠的一面,沒有任何的虛假,有多少人在看到這部電影的時候流下了淚水。生如夏花般燦爛,死如秋葉般靜美,死亡被入殮師詮釋的如此美麗和自然。最後我想說得是,無論你的一生過的怎樣,只希望你被世界善待。